”誰がアパレルを殺すのか” を読んで ①

”誰がアパレルを殺すのか” を読んで ①

繊維業界の人がこぞって読んでいる”誰がアパレルを殺すのか”を、ちょっと遅れましたが、ようやく手に入れ先週読みました。

6月ごろに、ネットで見つけて読みたいと思っていたのですが、日本にあまりいないため、手に入れる機会が有りませんでしたが、先日やっとゲット。

今この業界に蔓延している閉塞感(著者は”思考停止”と書かれていましたが)について、そうなった経緯と、それぞれの関係をを ”アパレルサイドと店頭サイド” を中心に、整理して書かれている良い本だと思いました。
アパレル産業の色々なポジションの方々が、それぞれの立場、視点でお読みになったと思います。

著者が日経新聞の方であり、当然国内を中心に取材され、”業界の常識”じゃない思考で客観的に取材され、まとめられたと感じました。
業界関係のマスコミの記者では感じられなく成ってしまっている部分を、”普通の経済常識の感覚”で見てまとめて頂き、業界の関係者が日々感じていることを、明確に文章化して頂いた貴重な本だと思います。

著者が”内輪の理論”と呼んでいる部分、
従来の商習慣や成功体験(他人の模倣も含め)が、
ワールドスタンダード?と呼ばれる経済活動の基準とのブレの是正に、付いていけない業界
このあたりに要約されると思うのですが。。。

*** 話ハズレますが、このワールドスタンダード的な部分は、幾つもの基準が有って、”ホンマでっか?”なこといっぱいあるのですが、、、  この件は、又いずれの機会に。。。

ここで、上記にも書いたのですが、”アパレルサイドと店頭サイド” を中心に掛かれている為、川中~川上 からの視点の部分が少ないですよね。
文中にも有ったのですが、殆ど海外生産の為、中国に関する部分が出ていますが、生産側としては、”モーチョットそこ深く” と思ってしまいます。

この部分に関して、海外生産地に足を置く私の見方を、ツラツラと書いていきたいと思います。

私も1993年から中国に出て行き、現地生産していたのですが、現地に居た人間として感じたことは、

1990年代前半

・日本からの依頼方法が、国内に出すのに比べ、そこそこ気を使って指示が出ていた
・国営から優秀な人材を、外資であることで、引っ張り放題
・インフラ上は、まだまだで、ストレスはあった

1990年代後半
・日本からの依頼の仕方が、雑になり始める < 中国サイドの慣れが構築されていく
・都市部での工員が集まりにくくなり、外地労働者を集めだす
・インフラ、そこそこ良くなってくる

2000年代前半

・ユニクロの発注数量の1/100で、同価格の依頼が一杯来る > 無茶
・段々優秀な人材が繊維業界に来なくなり、従来の人材も他業種への流失が始まる
・人件費(本当は労務費)の上がりが相当明確になり、都市部の工場では、数で儲けるのが困難

2000年代後半

・アパレルの情報クレクレ現象(口を開けば、「提案してください。」)で、OEMではなく、ODMの対応しないとオーダーが決まらなくなるし、発注数量が減り始める
・ロットの減少 > 素材手当困難 + 企画提案要求 = 韓中ライン 大うけ
・外地労働者さえ集まり難くなり、規模を縮小して、小ロットの寄せ集めになってくる
・アディダス等大手の中国からの転出で、縫製工場ではなく、染色工場の大型の仕事量がガタ減りで、残っているのは中小のオーダーになり、さらに環境規制がヒステリックに厳しくなり、環境コスト大幅アップ > 染色の対応、品質がダウン

2010年台前半

”チャイナプラス1” が全ての問題を可決する?が如く大流行
・でも、中国に投げていた雑な手法でしか指示が出来ないため、トラブル続発
・気が付けば、中国の日系工場が殆ど無くなっていた。。。
・コストがキツく、零細下請け工場を使わないと、対日対応ますます困難
・中国企業は、大手の二代目継承が決まっているとこ以外、しんどくて儲からない業種と捉え、業界から撤退して、不動産などで儲けることに関心が行き、モチベーション無くなってしまう >> 日本のオーダー受けても儲からない。。。。。。

2010年台後半

・もうどうにもならなくなり、大手商社の繊維部門縮小
・アセアンからの振り戻しも含め、最後まで中国で踏ん張っていたモデルも、対応・品質管理が破たんし出し、従来型の製品供給は、続けられないというか、明日が無い
・ベトナムに集中が加速しだす

この履歴から、次にもう少し突っ込んで行きたいと思います。

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